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トリッキー( Tricky )



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歌手の紹介


トリッキー(Tricky、1968年1月27日 - )は、イングランドのミュージシャン、シンガーソングライター、プロデューサー。ブリストル出身。本名、エイドリアン・サウス(Adrian Thaws)。

概要

90年代のイギリス音楽界に隆盛をみたトリップ・ホップムーヴメントにおける代表的なアーティスト。日本での公演は、フジロック・フェスティバルには3度出演し、2001年出演時には初日ホワイト・ステージのトリを務めた。サマーソニックにも1度出演している。
来歴

1982年にブリストルで結成されたDJ集団のワイルド・バンチに準メンバーとして参加。数年後、ワイルド・バンチがマッシヴ・アタックに改称されて以降も客演を続け、マッシヴ・アタックの2nd『プロテクション』では、「カーマ・コーマ」等でコラボレーションした。

1994年から本格的にソロ・ミュージシャンとして始動。1995年に、トリッキーが4歳の時に自殺した母親の名を冠したデビュー作『マクシンクェーイ』を発表。ヒップホップからソウル、パンク、レゲエまでを融合したその音楽性が高い評価を得て全英アルバム・チャート3位まで上昇、同年のマーキュリー・プライズへのノミネートや「メロディ・メイカー」誌の年間ベストアルバムに選出されるなど絶賛を浴びた。この作品は、先のマッシヴ・アタックなどと共にトリップ・ホップや「ブリストル・サウンド」などの言葉で語られる90年代の名作として扱われることになる。

翌1996年は1年で2枚のアルバムを発表するなど、2003年までの間にハイペースでのアルバム製作とリリースを重ねた。その間は自身のアルバムだけでなく、ビョークのアルバム『Post』のプロデュースや、映画『フィフス・エレメント』への出演、リミキサーとしてもビョークやエルヴィス・コステロ、ガービッジ、RIP SLYMEなどの楽曲を手掛ける。

2000年代に入って以降は、ツアー生活の疲弊から徐々に音楽活動への情熱を失っていき、替わりに、以前から楽曲提供などで関わり合いのあった映画業界をはじめとした映像分野への関心を強め、2004年に音楽活動を休止。その後はニューヨークに拠点を移してショート・フィルムやPV製作などのサイド・プロジェクトに専念する。

2008年に音楽活動を再開。その理由は「アメリカでの生活中、ラジオから流れてくるメインストリームの売れ線ヒップホップのあまりの駄作ぶりに閉口し、今の自分でさえ、あれよりは良い曲を書けるだろうと思った」からだそうである。